他人の価値観
世界が違う。
最初は感じていたのに、徐々にそれが当たり前になっていく。
それを住む世界が変わったのだ。
と言うのか?
単に「人間が変わった」と言うのか。
価値観が変わると、人は離れていく。
それはそれで仕方がないことなのだと思うが
長年親しかった相手だと、寂しくなるものだ。
なぜこんなことを書くかというと
ある人が、私の知人の出版イベントに出たときの話。
そのイベント?パーティーを「つまらない」「高い」と感じたそうで
「プロモーションとはなんぞや」と思ってしまったそうなのだ。
うーん。
私も出版記念イベントにはいくつか出ているが、みなさんそれなりに会費を払っている。
私が企画した耳ビジ忘年会も、ゲスト扱いの人は無料だったり、スタッフは無料だったりするのでそれなりの値段となる。
確かに、昔なら値段設定にオロオロしたことだろう。
これも私が「変わった」のだ。
著者さんに会える!みんなと会える!
なんなら私に会える!
ならば、払いたい、払える金額はいくらなのか?
満足してもらえるにはどうするのか。
私は時間を長くして、1時間ほどのセミナーを付けた。
それいらない!という人もいただろうが
逆に言うと、招待するゲストには、なんらか働いて貰いたかった。
ちなみに、大阪も東京も交通費出して宿泊費も出して来てくれる方には
車代を渡す代わりに、それをそのまま忘年会の景品にしていただいた。
私もプレゼントを提供した。
しかし、、、どちらにしても、そこに集う人の中に価値観が違う人がいれば
批判の対象になるのだ。
「本当に行きたい人だけ来てくれればいい。」
これを徹底できなかったことが、根本的な問題なのかもしれない。
まだ書けてもいないのに、私の出版記念パーティーはどうしようか?と想像した(笑)
私の本業の仲間たちと、友達と、耳ビジの仲間たちは世界が違う。
みんなから愛されて喜ばれる人を目指す必要は無いが
やっぱり寂しいものだ。
今週の耳ビジでは、堀もとこさんの「悪口を言われても気にしない人の考え方」を紹介したが
ふだん気にしていなくても、さすがの私も
みんなに配慮できているだろうか。。。
と、気にしてしまうことはある。
自分が寂しいのと同じで、親しかった相手もまた、価値観が変わってしまったことを寂しく感じるのだろう。
今夜の二軒目はこんな怪しい路地のBAR。
連れて行ってもわないと入れない(笑)
素敵です!
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