アルトの世界

ナレーションと語り*

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裏声日記

人は忘れる生き物です

5ヶ月ぶりに叔母に会いに行った。

認知症になってかれこれ8年ほどだろうか。

コロナ禍で面会できない間にほとんど話もできなくなり

私を見ても誰かわからなくなってしまった。

今日は姉と従姉妹と3人で訪問した。

ベッドに横になり、ただ目は開いているので話しかけてみる。

まったくの無反応だ。

なんとか反応が欲しくて、犬のぬいぐるみを見せ

「ボンのこと覚えてる?」

と言ってみた。

ボン。というのは、叔母が飼っていた雑種の犬で、叔母は犬が好きだった。

叔母がぬいぐるみを掴んだ。

お!反応!

ところが、なにやら言葉にならない言葉を発したあと

その犬のぬいぐるみを押し返すような仕草をした。

わずかな表情をそのまま受け止めると

「こんなもんいらん」

という拒絶だった。

叔母はプライドが高かったので

「子供扱いしてくれるな!」

と言いたかったのかもしれない。

見ず知らずの女3人にあれこれ話しかけられて、さぞかし迷惑だったことと思う。

切ない。

重度の認知症で、脚も強張り、車椅子でしか動けなくなってしまった叔母ではあるが

内臓はいたって元気。

介護職員の方に車椅子に乗せてもらい、昼食がはじまった。

8割のペースト状になっているお粥、豚肉の煮込みや切り干し大根などが並んでいる。

先ほどまで無表情な目だったが

食事が始まると少し和らいだ雰囲気になった。

手際良く上手に食べさせてもらうと

それなりに美味しそう。

なんでも食べるかと言うとそうでもない。

もずくのスープは、口に合わないような反応をする。

「あまりお好みではないんやね」

介護職員の方が優しく言った。

短い時間、一緒にいるだけでも、職員の方のお仕事ぶりに頭が下がる。

叔母はお洒落な人だった。

気が強くて、シャキシャキしていた。

今は、楽しかったことも辛かったこともすべて忘れてしまったのだろうか。

うちの父や、兄のせいもあって、歳をとってから辛く苦しい日々を送らせてしまった。

スタッフの方が、今年の叔母の誕生日に似顔絵を描いてくださったらしい。

何ヶ月も任せきりにしているが

こんなふうに優しく労わってもらっていることに感激した。

この日の叔母は、もしかしてこんな優しい表情を見せたのではないか、と思うと少しだけ気持ちが楽になった。

帰り際、スタッフの詰め所を覗いて

「似顔絵描いていただきありがとうございます」

と言うと

描いた人が出てきてくれた。

予想外に若い男性だった。

「あら、てっきり女性が描いたのかと。すごく上手ですね」

「いえいえ、描くのが好きでして」

と、にっこり笑ってくれた。

叔母がまだ認知症の初期だった頃

若い男性のヘルパーさんのことがお気に入りだった。

着替えさせてもらうときなどは

「わたしのお尻を見るのよ〜」などと軽口を言って笑っていた。

このスタッフの方が似顔絵を描いてくれたとき

もしかしたら本当にこんな顔をしたのではないだろうか。

そうであってほしい。

もしも叔母の脳が数秒でも現実に戻ってきたときに

優しくされた瞬間、幸せを感じてくれているならば

と、ただ期待するしかない無力な私たちなのだ。

生きていることの意味はなんだろう。

答えは誰にもわからない。

そのうち私も、なにもかも忘れてしまうのだろう。

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