アルトの世界

ナレーションと語り*

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裏声日記

再会叶わず

今日は仕事で色々楽しみな話ができて
ご縁は不思議だなぁー。

「持ってる」

展開って、こういうことだろうなぁ。
などとニコニコして過ごしていた。

ちなみに今日「持ってた」のは私ではなく
ある男性と、ある女性なのであるが
私も、その2人の面白そうな運命のひとコマを担当することになり
一助となれるならば嬉しいなぁー

かなり漠然とした話であるが

詳細はまだ言えない。

詰まる所いちばん楽しみなのは、
身長183センチのイケメンの若者とお仕事すること。

って、そこかい!!!(笑)

さて、今夜も、明日のうっかりの仕込みなどして
まったりとした時間を過ごしていた。

そんな折に届いた訃報。

東日本大震災で被災し、鵜住居仮設団地に住んでいて
私たちの立ち上げた手仕事プロジェクト「まごころ花」に参加してくださっていた方が亡くなったのだ。

政子さん

佐々木政子さん。

政子さんはメンバーナンバーワンの器用さと
センスの良さで
まごころ花の商品をたくさん作ってくれた。

もともとお金持ちの実業家だったけれど
津波で全て流された。

でも、その持ち前のバイタリティーで
仮設住宅の中でもいつも元気にみんなをリードしてくれたのだった。

2014年3月の大阪の震災復興応援イベントでは
是非とも!とお願いして
政子さんと、もう1人越田さんというメンバーと2人で
岩手からわざわざ来阪してくれて

震災体験と、刺し子作りの様子を見せてもらう企画

「岩手のお母さんの家」

を実現させていただいた。

2人とも、最初は気乗りしていなかったが
結果的にはとても楽しく過ごしてくれて
一緒に大阪城の梅園を見に行ったときには

政子さんと私が並んで歩き

越田さんとRちゃんが並んで歩き

政子さんと私が、あまりにも歩くスピードが早いので
2人がどんどん遠くなっていった…

というエピソードがある。

それくらい元気な政子さんだった。

ところが、岩手に戻ってすぐに運命が変わる。

体調を崩し、同じくしてご主人も入院。
その後先立たれた。

政子さんが入院したことで、まごころ花の活動も火が消えたように静かになってしまった。

「政子さんがいないとなんだか楽しく出来ないの」

しばらくはこれまで通り活動してくれていたが
政子さんの復活を前に、
刺し子作りは終了したのだった。

しかし、それから1年余り経った頃
政子さんは元気になって、復活する。

仮設住宅を出て新居に越したのはつい最近だ。

まごころ花メンバーによる鵜住居仮設訪問の際も
笑顔で参加してくれた。

活動の写真を見て
あー!政子さん元気そうだ!
この夏にはまた会えるなー!

そう思っていた。

それなのに。

私は死ぬことは当たり前のことだと受け入れている。
自分がその時になったら、抗いたくなるのかもしれないが
誰かが亡くなっても

また会える

と信じている。

でも、今回はかなり残念でならない。
せっかく新居で新しい生活が始まったのに。

再来月には会えたのに。

あまりにも残念過ぎて
すぐ越田さんにメールした。

そしたら、すぐ電話をくれて
2人でひとしきり話して、ほんとに残念な気持ちを言い合った。

「大阪行って良かったね、いつだったかも2人でその話してたんよ」

越田さんが教えてくれた。

震災のあと、ああしてお友達どうしで旅行したことが
少しでも楽しい想い出になっていたのなら有難い。

私にとっても
まごころ花のメンバーの中で
政子さんと越田さんは、やはり特別な存在だった。

夏に行く予定でした。
越田さんにも連絡するつもりでした。

「一緒に政子さん家に行こう。わたし案内するから」

せめて、お仏壇に手を合わせられるなら
夏の訪問も意味がある。

政子さんの作った刺し子。

わたしの持ってるものの中にあるかな。

月日が経てば起こりうる現実。
別れ。

あぁ、書ききれないわ。

新たな出会いがあれば
別れもある。

今日という1日は
わたしにまた色々学ばせてくれた。

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