アルトの世界

ナレーションと語り*

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裏声日記

鑑賞の仕方

俳句をはじめて新鮮に感じたこと。

誰かが書いた俳句について、自分が感じたことをみんなの前で発表し、
その解釈があっていようがいまいが、それは自分の自由・・・というか。
それを堂々と発言(指名されるので仕方なく発表している)すること。

学生時代に、漢文の鑑賞の時間があって、どう鑑賞したらいいのかさっぱりわからなかった。
だって、鑑賞って自由なはずなのに、先生が合ってるとか間違ってるとか言ってたもん。

さて・・・
その鑑賞の仕方。
美術や音楽鑑賞は小さいころから学校の授業に取り入れられているが
苦手な人が多いのでは?

今日は「JICP」の第30回会合だった。

JICPとは「日本のアイデンティティ文化発信実行委員会」の略である。

JICP1

私はまだ入って間もないが、
今日、皆で意見交換した、とある映像作品・・・
それが「小学生たちの絵画鑑賞の様子」
まあ、本当はそんな単純なものではないのだが、一口に言えばその様子を追った作品であった。

そこの小学校では5年生の頃から鑑賞の時間をきちっと設けていて、
皆で、この絵はどんな気持ちで描かれたものか?
描かれている男の子はどんな気持ちなのか?などを自由に発言し合う。

すごーい。小学生なのに。
っていう議論が交わされていた。
そして、児童たちはカメラ片手に街へ繰り出し、自分を見つめるのだ。

子供たちが言ってることを聞いていると、なんとこまっしゃくれた(笑)と思うのだが、
この授業を取り入れた学校側がえらいなあ、と思う。

ただ、これが美術ばかりでなくて良いとも思う。

冒頭に書いた俳句も、句会ライブというのを行ってる学校があるし、
音楽に造詣が深い学校もあるし、
私たち語り手を呼んで、音読の特別授業を取り入れる学校もある。

みな、共通するのは感情を言葉であらわしたり、感情を身体で表したりする、
いわゆる右脳の発達に貢献する取り組みであることか。
もちろん左脳の発達の為の特別授業があっても良いし、
あとになって、あー、小さい頃学んで良かった、と思えるのが一番だ。

夜中に書いているので、なんだかへんてこな文章になってしまったが、
子供たちの可能性を導くのは親や学校の力によるところが大きいってことか。

と、思ったら、やっぱり最初から才能で人生を歩んでいる人もいるみたい。

会合の後、懇親会で向かいに座った建築家の男性は、
自分で言うのもなんだが・・・と前置きしたうえで、

「小さいころから図工や美術の力は抜きんでていたみたい」

その力をうまく育てて、いまや建築家なのだ。

学校や親に何かすすめられたわけではないらしい。

私には場違いな会合かと思ったが、遠慮なく発言させてもらい、またまた良い勉強をさせてもらった。

ついでに、長野の「無言館」の話も出て、
私にとってはとても思いで深い場所なので、

ああ、また行きたいな、と心は長野へ。。。

あーとコート

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