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裏声日記

岩手災害ボランティア 12月3日 ~釜石にて 石屋ネーション②

何故書くのか?
という疑問を持ちつつ、事実を書くことと、思ったことを書くことに徹しているつもりです。
共感を求めるわけではなく
こういうことがありました、という事実を、共有できる人にはしたいな、それだけです。

菊池石材店のご夫妻とご家族のおもてなしにより
その日の昼食は本当にあたたかく美味しいご馳走が並んだ。

石屋8

皆でワイワイ言って食事していたのだが
休憩時間も終わり、皆、また作業へと戻って行った。

でも、なんとなく、私はもう少しお話ししたい気がして立ち上がらず・・・

お母さんとお嬢さん、姪御さん、仲間のCちゃんと私になった。

あの日の様子が色々と語られ始める。
最初地震があったときのこと、津波が襲ってきたときのこと、そのあとのこと。

しばらくしてCちゃんが作業に戻った。

私もサボってたらまずいですよね、と言うと、

もう少し良いじゃないの、と引きとめられた。
私も居たかったので、そうしたのもあるが、それはお母さんたちの希望でもあるとすんなり受け止めた。

あの日・・・
これまで津波など、来ても10センチ。
結局は警報が出ても何も来なかったのだからここは大丈夫。

お母さんはそう思ったそうだ。

お嬢さんと、お孫さんにもそう言って、逃げないでも良いよ、と言ってしまった。

ところが・・・

この話。
今、私に話してくれるのはなぜか。

というのも、震災から半年以上経って、今になって、恐ろしくて仕方なくなっていきている、というのだ。

震災直後は思わなかった不安が、今、闇のように心の中に迫ってきて、
ときどき怖くなって、どうしようもなくなる。
毎日目の前の壊滅した町を見て、どうしようもなく虚しさがつのる。
今頃になって何故?と自分自身がわからなくなって、また不安が増す。

お母さんが目に涙をためて話してくれるのを私はただ頷きながら聞くことしかできなかった。

家族が無事だったお母さんだけれど、その心の中にはやっぱり相当のショックがあって、ストレスがあって・・・
被災のレベルがどうであれ、100人いれば100通りの苦悩があるのがよくわかる。

どんな相槌を打ったのかも思い出せないが
とにかくお母さんの話、お嬢さんの話、被災を免れた姪御さんの話、それぞれの立場で震災の傷跡が語られ

気がつけば1時間くらい話していただろうか。

お母さんの口から、私たちボランティアに対する感謝の言葉がたくさん出てきた。
実際に私たちが来るまでは、いまひとつピンと来なかったらしい。
「ボランティアにお願いするっていっても・・ねえ」

でも、一緒に作業する間に、なんだか違う感情が湧いてきたという。

そっかあ、やっぱりボランティアにすぐ心を開けなんて言ってもできないもんなあ。。。
ぼんやり思う。

一人ひとりの力は小さいけれど、集まれば多少お役に立つってことかな。
半信半疑であるが。

お母さんが外の様子を見に席を外した。

「母はこれまであんなに自分のことを話さなかったんです。そんな風に思ってたなんて。ありがとう」
お嬢さんにそう言われて、
そっか。これで良いのか。

これは私の推測なのだが、
震災の体験を家族と一緒に話し合い、気持ちを吐き出すのも良いのだが、
第三者の他人に話す方がより効果が高い・・・効果というの、ストレスを吐き出すという意味だが
のではないか。
専門的な根拠もあろうかと思うが、私は無知識なので、経験で言ってるだけです。

私も、自分の過去を、親しい友人よりも、浅い知人に喋ることがあって、
なんというか、親しい人には心配させたくないような気持ちがあるから。

もちろん、他人なら誰にでも自分の経験を語れる訳ではなく
相手がどんな人か見てから言うのだけれど。

ボランティア活動のひとつに「生活支援」というのがあって、
その活動はゆっくりと人間関係を育んで、被災者の要望をじょじょに聞きだす・・・という形だそうだ。

一緒に何かの作業をしながら、こうしてお話ししてストレスを少しだけ解消してもらえるなら
私のようなちっぽけなボランティア員でも役に立てるのかも。

石屋10

午後の作業はサボってばかりだった私。
菊池石材店のイルミネーションが、みんなの心を温めてくれますように。

石屋9

石屋ネーション①はこちら

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