アルトの世界

ナレーションと語り*

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裏声日記

死生観

叔母の告別式へ。

車で行き、会館の駐車場に入ろうとした、、、

あら?

封鎖(・_・;

ではない。

ちょうど会館の正面入り口のあたり。少し坂道になっているところで

仕出屋さんの料理がひっくり返って大惨事になっていた!!!

えええええー!

慌てて車を下りる。

今日、お勤めをお願いしているご住職が一緒に片付けていた。

茶碗蒸しの碗が割れて、飛び散っている。

なるほど、この軽い坂道。台車で料理を運んでいたときにバランスを崩したと見られる。

こりゃ大変だ、、、。

という惨事からスタートした告別式であった(⌒-⌒; )

さて、こじんまりと家族のみでの葬儀。仕事を変更してもらい参列できてよかった。

当然、息子、娘、孫とみんな泣いている。

うちの姉も泣いている。

しかし、私は毎度のことであるが、葬儀ではほぼ泣かない。

両親を見送ったあとから泣かなくなった。

兄が死んだ時も、ほとんど泣いていない。

冷たい?

副キャプのときは、葬儀の司会をさせられて、さすがに泣いたが

見送りのときなどはそんなに泣かなかったと記憶している。

この世の修行を終えた人たち。またいつか生まれ変わって御縁があるはず。

だから悲しくないのだ。

「寂しさ」はある。

でも、悲しさではないような。

今日、告別式の最初に、懐かしい写真のスライドショーがあった。

若い頃の叔母、家族との一枚、みんなとの旅行の写真など

そんな中、何枚もあったのは娘とのツーショット写真。

これはパンチが効いた。

羨ましい

そんな気持ちに包まれた。

生前、私も母と2人、または3人で出かけたこともあったが

もし、今生きていたら

もっと母とのツーショット写真があったはず。

70歳にも満たない年齢で死んでしまった母。

生きていたらこの13年の間にあちらこちら連れて行ったことだろう。

羨ましい。

もっと生きてほしい。それはいくつで亡くなろうとも同じ気持ちだとは思う。

もっともっと若くして亡くなる人もいる。

今日、私がすごく悲しくなってしまったのは、自分の母と、亡くなった叔母を重ね合わせた瞬間だったのだ。

母親は偉大だ。

亡くなった叔母は、みんなのために世話ばかり焼いていた。

芯の強い人だったし、潔い人生だった。

私はいつまで生きるだろう。

とうとう親の兄妹ではアルツの叔母だけが残ることになった。

葬儀のあと、従姉妹や姉に私は言った。

お互い自分のお母さんが亡くなった今、お母さんのような存在で生きているのは叔母さんだけだよ。お母さんだと思って大切にしようね。

血の繋がった親世代の人。

ただ1人の人。

私もいずれ死ぬ。

明るいお葬式で、こじんまりと送ってもらえるなら、あの世で「ふふふ」と笑えそう。

ひっくり返した仕出屋さんの料理。

私たちがいただいたのはこんなメニューだった。

叔母さん。

前に法事で会ったときはビール注いだね。

今日は手酌させてもらったよ。

お疲れ様。さよなら。

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