アルトの世界

ナレーションと語り*

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裏声日記

あとがき

毎年、この時期・・・正確には6月末に海外旅行に行っている。
でも、去年は行けなかった。

我が家の愛猫ちーこが病気だったからだ。

その、ちーこが死んでしまって、
今年はさあ、どこに行く?イタリアかな?フランスかな?と思っていた矢先の震災。
自粛とかではなく、気持ちが全然乗らなくなった。

で、梅雨に入る前にお手伝いに行こう!と決めたわけだ。
なにしろ、雨が降るとボランティア活動は中止になるもので。

肌寒い日が続いたり、狐の嫁入りのような天気雨もあったが
活動した3日間は比較的動きやすい気候に恵まれた。

拠点となった遠野総合福祉センター。
同じ場所で寝た皆さんには本当にお世話になった。

女子は畳の部屋を使うのだが、畳部屋がいっぱいになると、男子と同じ体育館になる。
もちろん、ちゃんと間仕切りがあって、女子だけの小さな空間。
私もそこにお邪魔することになった。

「ここ、空いてますか?」

そんな言葉から見知らぬ人との会話が始まる。
すぐ隣に寝ていた若い女の子が
「わー、ネイル可愛いですね」
と、声をかけてくれた。

さんざん考えて控えめに仕上げた花柄のネイル。役に立った。

体育館で寝る女性は少なくて、すぐ皆さんの顔を覚えた。
そして、
「この行者にんにくとヒメタケ、美味しいわよ」

「このお豆、美味しいですよ」

遠野から被災地に向かう途中で売っている郷土の味をおすそ分けしてくれる。

「どぶろく、美味しいですよ!」
お酒もいただいた!

男子のスペースから聞こえてくる猛獣のようなイビキで眠れなかった朝には、
「これあげる。」
と、耳栓をくださった。
おかげでその日の晩は熟睡。

「ヘルメット、持って行った方が良いかも」
私の行く現場を聞いて貸してくれたり。

噂には聞いていたが、ボランティア同士のコミュニケーションは
深刻な現場から帰った後の、貴重な癒しの時間だ。

ちなみに、これは性格によるのだろうが、我が相方は、体育館内では誰とも喋らなかったらしい(笑)

さて、
私がお手伝いさせてもらったお宅は、3軒だった。
そのうちの1軒。
大槌のおばあちゃんのお家に行ったときのこと。海の目の前の家で、1階は壊滅状態である。

私たち(女性3人男性2人)が昼前にヘルプで駆けつけると、
そこは大工さんの男性ばかりのチームだった。
「こんにちは、よろしくおねがいします」
おばあちゃんに声をかけたが、無表情。
あ・・・ここ、厳しいな。
おばあちゃんの様子からそう思った。

ところが、である。
一緒にヘルプに行った女性、とても元気で爽やかな50歳くらい?の女性が、おばあちゃんに話しかけた。
「おばあちゃん、怖かったよね、大変だったね」

すると、おばあちゃんがポツリポツリと話しだした。

水没する我が家で、屋根裏の梁の上にしがみついて九死に一生を得たこと。

喋りだしたらあれもこれも・・・。

ああ、そうか。
大工さん達は的確な仕事をどんどん進めてくれるが、おばあちゃんとは話すタイミングが無かったのかも。
おばあちゃん、ちょっと緊張してたんだ。

その様子を見て、おばあちゃんの声を聞いてあげようとした、あの女性に、私は尊敬の念を抱いた。温かい人だと思った。

お陰で少し打ち解けたおばあちゃん。
私にも、避難所暮らしの辛さを話してくれた。
「うん、うん、そうかあ、そうですよね、たいへんですよね」
それしか言えないけど。

おばあちゃんが勝手口(だったと思われる)の辺りで、ゴミ袋に泥を集めていた。

「おばあちゃん、これ、もう捨てて良い?」
私が聞くと、

「捨てで良いよぉ、でも重いんだぁ・・ふだりががりでやらねば」

その瞬間、私がひょいとゴミ袋を持ちあげた。

「あ!あははは!」

おばあちゃんが今日初めて笑った。

「うふふ。私って力持ちでしょう」
「すげーなぁ、あははは」

人の笑顔がこんなにも身に染みたことはない。

あとがき、のつもりが長くなりました。
ところで、
冒頭に書いた愛猫ちーこは、去年の今日死にました。
もう一年経ったのですね。
ちーこを思い出して泣くことは最近少なくなったけど、今日はやっぱり・・・
あの日、私の腕の中で最後にぎゅぎゅっと伸びをして、
だんだん息が無くなったことを思い出すと涙があふれてきます。

大切な命を失うって、本当に辛いですね。

我家の猫5

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