脳が楽を選んでいる
人間の脳というのは「楽」をしたがるらしい。
自分の過去の行動をパターン化して、それに当てはめることによって楽な方へと無意識のうちに導く。
間違っていることも「合っている」と思い込んで楽しようとする。
10時の約束なのに11時だった気がする。
と、自分が楽な方に記憶をすり替えて遅刻する。
待ち合わせ場所はあそこだから近い。と勝手に思い込んで、実は遠い場所だったことに気づき言い訳する。
要するに
自分に都合の良いように記憶をすり替えて少しでも楽してしまう傾向があるわけだ。
「勘違い」
で事を済ませ、再び同じようなパターンを繰り返す。
今日、仕事関連で人をご紹介することになり時間を取っていただいたのに、すっぽかされた。
すっぽかした方が紹介して欲しいと頼んだ側であるから大問題。
私はさておき、相手の方に大変申し訳ないことをしてしまった。こちらがお願いしたのにもかかわらずドタキャンとは。。。
当然、すっぽかした当人は平謝り。
「連絡し忘れた」そうな。ふーん。
これは「うっかりミス」ではなく、脳が自分(その人)にとって楽な方ないしは楽しい方を無意識に選び、記憶から排除された良い例だと思った。
わたしの専売特許の「うっかり」はちょっと違う。楽をしようとかではなく、単に学習能力の欠如。またはアホ。自己責任。
他人様に迷惑をかけたときは「うっかり」では済まされないから上記のような本能的に楽をしようとして迷惑をかけた「失敗」無意識だけど、悪気はないけど「失敗」は「失敗」
で
こういう「すっぽかし」があると信頼が大きく揺らぐわけなのだが
幸いそのご紹介させていただく方と私の貴重な会話の時間ができた。
「今日は2人のための大事な時間だったかもしれないね」
この前向きな考え方を双方が持ち合ったことでこの貴重な時間が「無意味な時間」にならずに済んだ。
大らかな考え方に感謝した次第。
誰しも「楽」したい。
計算尽くで得る「楽」と無意識のうちに流れてしまう「楽」
計算尽くは、少なくとも計算という努力がある。
無意識は怠慢だから、一瞬は楽に見えても後々ツケが回ってくるかもね。
同じ「楽」でも「快楽」は意味が違うらしい。
努力の成果としての「快楽」
筋肉は裏切らない。
ひーひー言うほどしんどいトレーニングのあと、きっと「快楽」は訪れる。
加圧トレーニング。頑張ってます。
、、、、って、そこかい!(笑)
食で得られる「快楽」
このひと手間の努力が美味しさを増すのだよ。
自家製イクラです。
、、、って、結局、食べ物の話で終わるんかい!
今年も作りました!美しいでしょーーー!!!
粒が大きく上物です(≧∀≦)
そして、楽をしたがる脳と決別することにしました。
潔くいこうと思います。
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