ふつうの1日
2011年3月11日14時45分。
この瞬間まで普通の日だった。多くの人が。
そして1分後。すべてが変わった。
大地震。さらには津波。
さっきまでの日常がすべて消え去ってしまった。
いま、日本ではあちらこちらで毎年災害が発生し、多くの命が失われている。
3.11だけが特別ではなく、どうすることもできない予測不可能の自然災害に見舞われた人。
そのほかにも、事故に巻き込まれた人とか、まさかの事件とか、とにかく予想できない死に直面した人にとって
「さっきまでの日常はどこへいってしまったのか?」
考えてもどうにもならない思いが渦巻く。
私にとってのそれは、母の自死のあの日だ。
今でもしょっちゅう考えてしまう。なんで?なんで?なんで?
何度も足を運んでいる岩手県大槌町。
そこに、9年前の14時45分まであった日常を想像して、苦しくなる。
なんで?なんで?
春の高校野球が中止になった。
憧れの甲子園で、歓声の中プレイする自分の姿を想像して、どんなにワクワクし、心昂ったことであろう球児たち。
天災と同じだ。
この春、そんなふうに涙を飲んだ人たちが、「コロナに被災」した人たちが何万人もいるのだろう。
震災もコロナも、被災の程度は大小あるが、東日本大震災のときそうだったように、今はコロナ災害に日本中、いや世界をあげて闘わねばならないのだと思う。
パンデミック。世界的流行。
治療薬開発が待ち遠しい。
ただ、他人事ではないけれど、まだ渦中にいない人間は、その奇跡に感謝し、日常を粛々と過ごすべきだと思う。
今日もふつうの1日でした。
マツエク行って、仕事行って、トレーニングして、フレンチビストロで美味しい料理に出会いました。
感謝。
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