アルトの世界

ナレーションと語り*

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裏声日記

わたしの大切な人

今日はあるセミナーを受講したのだが

それはそれは面白く

私のようなお節介な人間にとっては考え方をがらりと変えてくれる貴重なお話を聞くことができた。

お節介は100%不要。

願望を達成させるためのプロセスについての話しも

自分のやってきた方法だけでなく、さまざまなアプローチがあると知り、もっと違うやり方も試してみたくなる。

私の場合、とにかくチャレンジして、失敗したら次の方法

という、がむしゃらなやり方をしていることが多いが

若い頃はそれよりも「祈る」「願う」に特化して、成功を引き寄せていたことがあった。

なぜ、それを最近はやめてしまったのだろう?

あの頃、自分を信じ祈りながら、地道に努力していた。

今やってる努力となにが違うのだろう?

すごく逞しい私のハートだけど、時に不安にもなる。

これで合ってるのかな?と。

正解は今はわからないよね。

さて

今夜はナレーター仲間と鴨川の床へ。

お料理も美味しく、床が初めてのメンバーが喜んでくれたのでよかった。

普段話題にしていなかったこともゆっくり話せて楽しかったな。

鴨川を吹く風が心地よく、夏の終わりを感じさせるひとときだった。

ところで

この楽しい会合の直前、私の古い友人から「大切な話なので電話で」

と連絡が入った。

深刻な話題であることは雰囲気ですぐにわかった。

私の誕生日会のときに大活躍してくれた大切な友人。

彼女はとても冷静だったので、私も冷静に聞いた。

私は彼女が歩んできた人生を知っている。

その一途で馬鹿正直な生き方が、きっとここで力を発揮すると思う。

実はこの1ヶ月の間に、2人の人から同じ類の病名を聞かされてしまった。

先に連絡を受けた人はさほど親しく無い人だが、電話口で泣かれて必死に励ました。

さらにもう1人しょっちゅう飲みに行っている友人はバイクで事故してもう1ヶ月も入院している。

こちらは、私が彼のためにできることがあり、それを頼んでくれたので、なんとか役に立てた。

今日の友人に私は何ができるだろうか。

私が今日も幸せに笑っている一方で

苦しみの中で命と向き合っている人がいると思うと無力感に襲われる。

冒頭に書いた今日の学びを思い出す。

お節介は100%不要。

求められたら手助けするのみ。

でも、いつでも受け止められるように私がしっかり生きていないと。

そして祈る。願う。

周りが幸せじゃないと私は幸せではない。

私が幸せであれば、周りも幸せ。

こんな風にならないかな。

 

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