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施設に入っている叔母の米寿を祝って、親戚数人で集まった。
爽やかな秋晴れ。
自分のためにみんなが集まってくれたこと、とても喜んでくれた(о´∀`о)
ベレー帽を被って、アクセサリーもつけて、相変わらずお洒落な叔母。
でも、アルツハイマーであることは変わりなく、今日は最初わたしの名前さえ一瞬忘れていた。
こうやって徐々に徐々に進んでいくんだよね。
叔母の上の孫娘が出席してくれて、とても嬉しかった。
叔母の娘、要するに私の従姉妹は20年前に死んだ。
子供が16歳と14歳の多感な頃のことだった。
その子がもう36歳。月日が経つのは早い。
4年前に結婚したが、結婚式は挙げていないらしい。憧れもさほどなかったそうな。
そんな話を聞くと
あぁ、お母さんをあんな形で早くに亡くしたから、結婚に対しての期待が薄かったのかな?とか、お母さんが生きてたら「ウェディングドレス着て!」と言われて、華やかな笑顔を見せたのではないか?とか
ついつい考えてしまって、少し寂しくなった。
もっと寂しいのは、、、叔母の頭の中には、娘の記憶がほぼ無いことだ。
自分のお腹を痛めて産んだ子のこと、死んでしまったときの悲しみ苦しみ。
叔母はそれらを自分のためにあえて記憶から消し去っているのかもしれない。
パーティは同じことばかり繰り返す叔母の様子も微笑ましく、お互いに近況報告などしあって和やかに進んだ。
叔母の食欲もバッチリ!
フレンチのフルコース、バースデーケーキまでしっかり平らげた。
さて、パーティがおひらきになり、再び施設へと送る。しかし、アルツハイマーの叔母は、いまだに施設に入っている現実を理解できないでいる。
「京都に帰る」と何度も言うので困ってしまった。
きっと、部屋に戻ったら、早々に今日のパーティのことを忘れてしまうだろう。
でも、ふと我に返って
「なんでこんなところにいなきゃいけないんだろう」
と、1人孤独を募らせているかもしれない。
想像するだけで辛い。
幸せな時間には終わりがあるのだ。
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