アルトの世界

ナレーションと語り*

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裏声日記

ナレーターが見た膝枕〜運ぶ男編〜

『牡羊座のあなた、今日は西の方角が良いでしょう。運命の出会いがあるかもしれません。』

「へぇ、西の方角ねぇ。俺の担当と一緒じゃないか。なんか良いことあるかもな。」

カーラジオに耳を傾けながら、配達員は大通りに軽トラを停めると、荷台を開けた。

オーブンレンジくらいの大きさだろうか。

慣れた手つきでダンボールを持ち上げようとして、一瞬腰にギュンと響いた。

「うへ、おもっ。なんだこれ」

伝票を見ると「枕」と書いてある。

「まくら、、、って重過ぎるだろ」

配達員はダンボール箱を慎重に抱えると、大通りから20メートルほど入った路地にあるアパートへ向かった。

5月とは思えない強い陽射しが照りつけ、配達員の額から汗が吹き出した。

「くそ、3階か」

錆びた鉄骨の階段を上がり、ようやく配達先のドアにたどり着いた。

チャイムを押すと、安っぽい音がアパートに響いた。

応答はない。

腕がだんだん痺れてきた。下に置きたいところだが「コワレモノ注意」の貼り紙がついている。

片手を離すと箱を落としてしまいそうで、配達員は右の肘を持ち上げて、もう一度チャイムを押した。

腕がもう限界に近づいたとき、ようやく部屋の中で物音がしてドアが開いた。

のろのろと顔を出したのは

いかにもオタクそうな若い男だった。

「受け取りお願いします」

配達員はイライラした表情をかくして言った。

男は怪訝そうな顔で伝票を受け取ると

急に表情を変えた。

「ま、枕!」

気のせいか息遣いが荒くなっている。

配達員は不気味なのと荷物の重さに耐えきれず、思わず

「受け取ってもらっていいですか」

つっけんどんに言った。

「はぁー重かった。どんな枕だよ。ヨシ、配達完了!」

配達員は足早に階段を降りると、軽トラに乗り込み次の配達先へと車を走らせた。

季節の変わり目は運送業にとって一番忙しい時期である。

方角の吉凶に関係なく、東奔西走する日々が1ヶ月続き、街角を紫陽花が彩る季節となった。

「お疲れ様でした。お先に失礼します〜」

目まぐるしい1日を終え、その日も配達員はくたびれた様子で集荷場を出た。

もう22時を回っているというのに、外はじとっと蒸し暑い。

いつのまにか小雨が降り出していた。

「やべぇ」

配達員は駐輪場にぽつんと残されていた自転車にまたがると

雨の中、家路を急いだ。

だんだんと雨足が強まってくる。

近道で帰ろうと、大通りを曲がり裏道へと入った。

その瞬間、道の真ん中に段ボール箱があるのに気付き、急ブレーキをかけた。

「なんだよ、こんなところにあぶねぇなあ」

危うくぶつかるところだった。

配達員は自転車を降り、段ボール箱を蹴ろうとした、と、そのとき

ガタガタッ

突然、段ボール箱が動いた。

「え!」

濡れてぶよぶよになった段ボール箱が勝手に動き出したのだ。

配達員は自転車をかたわらに停めると

恐る恐る近づいた。

街灯の灯りがほんのりと段ボール箱を照らす。

蓋には配達伝票がついたままになっていた。

「これ、、、あ、枕」

2週間ほど前だっただろうか、若い男の家に配達しに行ったのを思い出した。

ふと見ると、今、自分がいるのは、そのアパートの前である。

「ってか、なんでコイツ動いてるんだよ」

配達員は段ボール箱の蓋を開けてみた。

「うわっ!」

そこには、血だらけの膝が入っていた。

正確に言えば、女の腰から下、正座の状態の膝が血を流しながらプルプルと震えている。

「だ、大丈夫か?」

オモチャだとは思いつつ、つい話しかけてしまった。

するとその膝が今度は段ボール箱の中で飛び跳ねた。

「おいおい!怪我してるのに、ダメだよ飛んじゃ!」

配達員の静止も聞かず膝を揺らし、なんども飛び跳ねる。

そのとき、配達員の目にアパートの錆びた鉄骨の階段がぼんやり浮かび上がった。

「も、もしかして、お前、この階段?」

「そうです」というように両膝を合わせパチパチと鳴らす。

なんともいじらしい膝の動きに、配達員は思わず笑みを浮かべた。

そして

「わかったよ、連れて行ってあげたらいいんだよな」

配達員はそっと段ボール箱を抱き上げた。

あぁ、そうだ、確かにこんな重みだった。

なにが入っているのかわからないまま運んだが、こんなに可愛い膝が入っていたとは。

「枕って、膝枕だったのか」

慎重に段ボール箱を抱えながら、雨に濡れた鉄の階段を上がっていく。

見覚えのある三階のドアの前に立つが

部屋の中は暗い。

「ここでいいよな」

配達員は膝枕に声をかけると、静かにドアの前に段ボール箱を置いた。

蓋を開けて中を確認する。

膝枕は「ありがとう」と言うように、両膝を小さくすり合わせた。

「ヨシ、配達完了」

配達員は小さくつぶやくと、軽やかな足取りで鉄の階段を降りていった。

そして、もう一度アパートを見上げると

「連れて帰ればよかったかもな」

もう一度小さくつぶやいた。

このお話は今井雅子さん作「膝枕」のスピンオフ作品です。

 

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