お節介
大好きな人が苦しんでいた。
おととい、LINEのやり取りの中で彼から「死」という言葉が出てきたとき、頭の中が冷たくなった。
少しでも力になりたくて具体的なアドバイスを送り
最後にはなんとか「元気になってきた」との返事をもらって胸を撫で下ろした。
その翌日。昨日の朝のこと。
家人と話している中で、ふと昨夜の話をすると
「え?!それサポート大丈夫なの?」
と言った。
「いや、周りには話してないみたいなの」
「それ、言ったほうが良いんじゃない?笑い話になればそれで良いやん」
この家人の言葉にハッとした。
おもわず
「あなた、すごい良いこと言うね!その通りだわ。よく気づいたね」
久しぶりに褒めた気がする。
そうだ。その通りだ。
一気に蘇ってきたのは兄の最後である。
私に「死んでしまいそうです」というメールを兄が送ってきたとき、私は姉にだけそのことを打ち明けた。
義姉はじめ兄の家族に連絡しなかったのは、兄が家族には弱みを見せたくないだろうと配慮したからだ。
プライドを傷つけてはいけない。私に打ち明けたのは口が固いと見込んでのはず。
と思ってしまった。
結局、姉と「次に京都に来た時にお兄ちゃんとじっくり話そう」と決めたが
その1週間後には兄はあっさり死んでしまった。
あのとき兄の気持ちなど気にせず、家族に打ち明けて、みんなで見守れば回避できたかもしれない。
これは長年私を苦しめた後悔だった。
それを家人に思い出させてもらった。
私、また同じことするところだった。弱気な彼の気持ちを他の人には内密にせねば!と思っていた。
大変だ。手遅れになってはいけない!
ここはお節介でも誰か協力者を探し、ご家族へ知らせておけば、様子がおかしいときになんとかできるかもしれない。
こう思い直し
慌てて、職場で彼が1番信頼しているはずの人に伝え、職場での様子を見守ってもらうよう頼み、ご家族へ伝えてもらえるようお願いした。
と、同時に、2人で彼の話を聞いてあげられる時間を持てれば・・・と相談。
本人に提案することにした。
さらに私は改めて彼に、実は兄も母も自死で亡くしていることと、だからこそ後悔を繰り返したくない旨と、死にたいほど辛いなら、即、現状から逃げ出そう!と長々綴った。
その後、彼から「やっぱりまだ自分は生きたいと思っている。心配かけて申し訳なかった」という返信がきた。
私のお節介も迷惑がらず、感謝の気持ちが綴られていた。
苦しんでいる上に、謝らせてしまった( ; ; )
あぁ、お節介はすべきじゃなかったのかな。。。
本人と直接顔を合わせると
「いろいろありがとうございました」
「とんでもない。お節介でごめんね」
私がやったことは合っていたのだろうか。
いや、やはりお節介して良かったと思う。
協力をお願いした人ともこっそり話し、どちらにしても近いうちに3人で会いましょうと決めた。
このblogに経緯を詳細に書くのは
自分が体験し学んだことでも、そうそううまく活かせないことがあると気づいたから。
経験していてもこれなのだ。
もし、周りに苦しんでいる人がいても
「そっとしておいてあげる」という美学が働いてしまう気がする。
お節介と思われたくない、という気持ちが先に立つことがある。
家人のひと言に私が驚いて
「よく気づいたね」と言うと
「第三者だから」とさらりと言った。
確かに。当事者は妙な遠慮や配慮をしてしまう。
そして、なぜ彼が私に。そこまで深い関係ではない私に、あそこまでの気持ちを打ち明けて来たのか考えたとき
近い人にほど言えない苦しみだったからだとわかる。
だから気をつけねばならない。
時に、人間は深い闇を抱えながらでも笑顔を作ることができる。
現に、彼は今日も無邪気そうに笑っていた。
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